しばらくお休みです

言いたいことは山ほどある。

若いひと(文章から判断して)からのコメントに対しても言いたいことがある。

「読めない 書けない 計算できない」症候群が若い世代に蔓延していて情けなくなるほど!

でも今は自身の闘病を第一に考え、しばらくストレスと距離を置いておこうと思います。

しばらくの間お休みさせていただきます。それではまた!!

 

 

東大9月入学

東大が入学時期を9月にするようにすると発表した。

5年後をメドに変えることを検討しているという。

まぁ、私にとってはどうでもいいことだが、その理由がどうもいただけない。

外国から優秀な学生を留学させ易くすること。
そして東大の学生も外国へ留学させやすくすること。

―—―そこまではいいが、
「グローバル化」「国際競争力」
という言葉が出てくると

相も変わらず「バカの一つ覚え」かよ!

と言いたくなる。

「グローバル化」と「国際競争力」
という二言を言えば、なんでも正当化できると思い込んでいるようなところがこの国全体を覆っているように感じられてならない。

しかしながら多くの経済学者や社会学者が指摘しているように

「世界的に成長の時代は終わった」

と見るべきだと思う。

浜矩子の著書
「恐慌の歴史」

には次のようにある。

『「日本にはフロー(成長)はあるがストック(蓄積)はない」
 1970年代に、盛んに使われた言い回しだ。ストックとは一国の「貯金」、すなわち国富であり、フローとは「給料」、すなわちGDPなどの指標で測る年々の国民所得のことである。
 つまり、経済成長は高いが資産がなかった。(中略)今は正反対だ。インフラ、生産設備、教育体制などあらゆる面で世界で最も充実したストックを持つ国になった。
 それにもかかわらず、「フローよ、もう一度」とばかりに企業も政府も成長戦略を練っている。政権交代をしても政府の経済政策は「成長促進」を変えないままである。豊かなストックに流動性を持たせて効率的な分配を行うべきなのに、日本は経済成長への幻想に支出を増やしている。』

・・・・・まったくその通りではないだろうか。

NHKスペシャル 遺伝子 ビデオを観て

昨日息子が学校の先生からひとつのビデオ(DVD)を借りてきました。

タイトルは

「遺伝子」

NHKスペシャル「驚異の小宇宙 人体Ⅲ」(6.パンドラの箱は開かれた)
というビデオです。

ビデオのしょっぱなでいきなり
「将来は子供を親たちが望む設計図で作ることができる」
といった内容にぶったまげます。

遺伝子組み換えで
● 優れた芸術家にする
● 優れた科学者にする
● 美しいスタイルの美人を作る

などが自由にできる可能性を伝えています。

もし先天性の疾患に悩んでいる人がいれば、遺伝子操作によってそのような障害者を救えれば素晴らしい
ーーーと考えるかもしれません。
また、将来最高の頭脳と最強の肉体を持ったひとばかりが存在するようになれば、社会の進歩は飛躍的に高まるだろうという期待を抱く人もいるかもしれません。

でも話はどうもそう単純ではない。

遺伝子操作は
「障害者を救う」
という福祉目的より
「障害者を減らして福祉予算を減らしたい自治体と、巨大な富を得ようとする企業の思惑」
の方がはるかに大きいようです。

私が非常に気になるのは、

良い遺伝子、悪い遺伝子をいったい誰が決めるのか、
そしてその情報を個人より先に政府や自治体、企業などが得る危険性をどう考えるのか ーーーということです。

受験生をもつ親の気持ちとしては、
「もし頭脳明晰な子供に設計することができていたなら、どんなに楽だったろう」
という思いがあるかもしれません。
(他の家庭でも同じように設計していたなら悩み解消とはいかないでしょうけど・・・。)

でも遺伝子操作は「やってはいけない領域」という思いが個人的には強いです。
それは宗教的信念というより、子供の頃から自然の中で遊びそこから多くを学んできた経験から発する感覚です。

番組の最後の方で
柳沢桂子氏が言っているように
「悪い遺伝子なんてない。もし障害者が生まれてしまったら、それは社会が引き受けて守るべき」
という考えに私は強く共感しました。

私はクリスチャンではありませんが、キリスト教における神は全知全能であって、人間ごときの考えなど最初から相手にされていません。
「善いひとは救われ、悪いひとは地獄に堕ちる」
などというのは人間の勝手な希望であって、神はひとの判断する「善悪」判断には全く縛られるものではありません。
だから「善いひと」でも神によって殺されるし、 「悪人」でも救われたりするのです。
ーーーということをキリスト教について書かれた書物で知りました。

人間は勝手に「良い悪い」を判断すべきではないでしょう。

自然界は多様で無駄がない。
人間の判断で「良いものだけを残し悪いものは消してゆく」なんて軽卒に考えると、とんでもない結果を招くことになると危惧します。

蛇足になりますが、
一部の子を悪い子として社会から排除しようとする動きは大変危険です。
それは教育でもなんでもない。単に自分にとって都合の悪いものを排除したいだけの幼児的わがままにすぎない。

子育てや教育に関して素人の政治家たちが教育現場まで支配して意のままに動かそうとするのを 許すべきではないでしょう。

「みんな違って みんないい」っていう想いはいったいどこに消えちゃったの?

 

万歳! 東大の知力がNo.1!

正月のテレビ番組で

「知力を競う」というゲーム番組(?)がありました。

全部観ていたわけではないのですが、確か暮れに全国大学のNo.1を決めるイベントがあったと記憶しています。
そこで頂点に立ったのは 東大医学部の学生!

そして昨日世界の有名大学の一部が参加した同様のゲームがありました。
ここでも頂点に立ったのは 東大チーム! さすが!!!

問題を私はほとんど解くことができませんでした。
グネグネ曲がりくねった曲線を見て、それを「マゼランが航海した航路」であると認識できた彼らの能力にはほんとうにビックリしました。(確か東大、京大、ハーバード大、オックスフォード大すべてが正解)
多くの知識が頭の中に入っていて、それらが有機的に結合していれば、より正しい判断をより早くできる可能性はあると思います。ただしあくまで「可能性」です。
知識の少ないひとが「エイヤッ!」で下した判断の方が正しくなる可能性だってあるのですから。。。

とは言え、多くの知識と判断力を持っていることは悪いことじゃない。羨ましいという思いもあります。

・・・・・でも、高校生の息子も言っていましたが、

「それを知っていてなんの役に立つの?」

という部分もあります。
「辞書や百科事典を調べればすぐに分かること 」を覚えていることにどれほどの意味があるのでしょうか?
「覚えている」ことより「調べ方を知っている」ことの方が大事という気もします。 記憶というのは間違いを犯すので、大事な局面では記憶に頼ることは危険です。整理されれ記述されたものを確認しながらやった方がずっと賢い。実際に多くの人は仕事の中で記憶に頼るのではなく、資料を元に判断していますよね。

直感的な判断が要求されることや計算能力などは別ですが、「調べれば誰でも答えを導き出せる」事柄を知っていることに大きな意味があるとは思えません。
楽器を演奏したり、美しい声で歌を歌ったり、迫力ある絵を描ける能力はマネや辞書引きなどで実現できるものではありません。「だから芸術の力の方が教養より上だ」などと言うつもりはありませんが、少なくとも「知力」として試験されている力はあまりに偏ってはいないかと感じます。

一瞬だけ画面に表示された10個にも及ぶ数字の表示位置を人間はまず覚えていられません。でもチンパンジーは確実にそれを覚えていて、どこにどの数字があったかを正確に当てられます(これも正月テレビ番組でみて衝撃を受けました)。
同じような類の出題が「知力を競う」 ゲームにありましたが、この出題に対しては圧倒的にチンパンジーが上です。ならばチンパンジーの方が知力に勝る部分があるということ?

そう言ってもいいのかもしれませんが、多分大方は抵抗を感じるでしょう。「それは単にチンパンジー特有の能力だよ」ってことになる。

ならば「知力ってなに?」という問題に返ってきます。

話はちょっとそれますが、「知力日本一」を争った学生がともに医学部の学生だったことに複雑な思いを抱いています。

わたしは膀胱癌を患ってから今年で10年目になります。最近は血尿が止まらない状態ですが、病院にて癌治療を受けたことは一度もありません。膀胱癌の特質を知っているひとには信じられないかもしれませんが、事実です。「治療を受けていないのにまだ生きている!」・・・・・いえ、受けなかったからこそ生きているのです。

癌治療は20兆円産業とも言われ、製薬業界が政治家、官僚からメディアまで支配して、抗がん剤が「百害あって一利無し」であるという事実を国民に知らせずにぼろ儲けしている事実を知っているひとには不思議ではない話ですが、多くの騙されている人たちからみたら、まさに奇跡の生存!ということになるのです。

問題は成績が良い医学生ほど騙されていることです。自分の行っている「癌患者を死に追いやる」”治療”に対してなんの疑問も抱かない。

診断方法も適切。そして治療方法は「ガイドライン」に正確に沿っている。でもそのことが患者をより苦しめながら早く死に追いやっているという事実に気がつこうとしません。

私は何人もの医師と喧嘩して、今はもう病院に行こうとは思いません。多くの医者は自分たちは「特別に訓練された優れた知力を持ったエリート」だと思い込んでいます。

私が「時々自分の尿を取って、80倍の実体顕微鏡で血の混じった浮遊物を観察している」と告げたとき、医師は「それでは癌細胞は見えませんよ」と言ったものです。
私だって大学で物理学を学んだ「理学士」です。誰が「癌細胞を見ている」と言ったでしょう! 医者の多くは「患者はバカだ」と思っているようです。だからひどく人を見下します。

ある大学病院では
「治療法は 手術 抗がん剤 放射線 しかありません。それ以外の治療法はありません。」
と私に告げ、このままでは「死にますよ」と脅しをかけてきました。
私が
「治ってゆくことだってありますよね」
と言うと、

「こいつはバカか!」っていう目で(初めて)私の顔を見て、「自然に治る・・・・・フンッ!」と鼻で笑ったものです。

医者たちは生まれつき傲慢なのでしょうか?
いえ、多分「白い巨塔」の中でその頭と精神が歪められてしまうのでしょう。そして事実を見ず教科書に書いてあることしか言わなくなる。

「教科書の内容はすべてマスターしました。ガイドラインも完璧に記憶しています。」

ーーーーそんな人がいたらすごい知力かもしれません。でも私たち癌患者にとっては「全く知性のない人」でしかないのです。 「人の人生」を慮る能力が彼らにないのです。人はそれぞれ複雑な生活事情を抱えている。それを理解し思いやる心が彼らにないのです。そればかりか「チェコ・リポート」のようなものすら知らないのですから、彼らを「優秀」と認めることなんて我々には到底できない。

クイズ番組で優勝した彼らが、「知性を持って」今の医学会を変えてくれることを今は祈るばかりです。

論理的思考力を身につけよう

物事を論理的に把握するということにおいて、日本人は長年弱さを引きずってきました。

「あ・うんの呼吸」とか「以心伝心」とか「腹芸」の文化が強い論理思考を育てるのに障害となってきたのではないかと思っています。

鎖国状態でやっていければそれでもいいかもしれませんが、広く外国とつき合ってゆかざるを得ない中では論理性の欠如は致命的です。日本人の論理性のなさに対して、しばしば外国人から驚きと軽蔑の視線が向けられてきました。
マッカーサーの「日本人は12歳」という発言は、日本人の精神年齢がジュニア・ハイスクール未満。まだ小学生レベルだと言う意味です。
言われても仕方ないでしょうね。なのに論理性を養う教育があまり現在でもなされていないと感じます。

大阪市長選が盛り上がっていますが、橋下徹氏の憲法や教育問題に対する姿勢は、およそ社民党の考えとは異なるはず。
ところが先日の新聞の世論調査では社民党支持者の大多数が橋下支持だと言うのです。私には全く理解できないのですが、社民党支持者たちは 論理ではなく、単に雰囲気で決めているということなのかもしれません。
あるいは、共産党が対立候補(名前はど忘れ)の支持に回ったことから、「赤嫌い」の社民党が橋下支持に回ったのかも知れませんが・・・。
どちらにしても論理思考とはかけ離れています。

日本はとにかく 論理的に理解不能 なケースが多すぎます。

私は脱原発の市民活動に加わっていますが、参加している人たちの思惑は結構それぞれ異なるようです。

脱原発をきっかけに 新しいビジネス・チャンスを得たい というひともいるかもしれません。エネルギー削減には興味無し。
原発はコワイけど、電気はたっぷり使いたいから自然エネルギーの開発をしなければならないと考えるひともいる。
でも、そもそもエネルギーを使いすぎてきたことが問題だから、原発をなくしても持続可能な社会構造にしましょうと考えるひともいます。

いろんな人が集まってくる。
でもそうなると、自分はどんな社会を目指しているのかを表明できなくなる。政治的対立を引き起こして会をグチャグチャにして責められても困ると考えるのです。そこで皆自分の立場、考え方を述べなくなる。だから人が多く集まるほど、その会の目的や趣旨が分からなくなってくるというヘンな現象が発生してしまうのです。

「とにかくまずは原発を止めましょう」
ということで大方の意見がまとまれば、それから先の議論はあえてしようとしない。
お互いこう考えるのです。
「白い猫でも黒い猫でも、ネズミを捕る猫はいい猫だ」
自分にとって利益となればそれでいい。。。
そして基本的な考え方の部分にカーテンが引かれてしまうのです。

これは外国人からはまず理解されません。
とりわけ欧米人にとってはいらだちの元です。
個人的にも仕事上でも日本人の議論が曖昧なとき、「イエスかノーか、どっちなんだ?!」と突っ込まれた経験は何度もあります。

批判をしないという風土が一番良くないですね。
批判をすると自分も批判されるかもしれないという思いが、批判をためらう一つの要因に見えます。
批判をし、また自分の考えを批判にさらす。そうすることで論理的思考力が高まるはずなのに、それができないのが日本人です。子供だからできないのです。批判が怖いからできないのです。

ドイツの学校ではたった一人の生徒によってたかって批判をするようなことがあるそうです。その姿勢は容赦のないものです。
そんな状況を目の当たりにした日本人教師、いったいこの後どんな気まずい状況になるかと心配したそうです。
でも休み時間になるや、それまでの厳しいやりとりがなかったかのように皆楽しく遊んでいたそうです。なぜそれができるか。単純に言えば彼らは大人だということです。

ノーム・チョムスキー
エマニュエル・トッド
をはじめ、外国の著名な知識人たちの冷徹で容赦ない批判や分析は、世界中に大きな影響を与えています。
それらに匹敵するほどの仕事をしている日本人はどれほどいるでしょう。いることはいますが、そういう人はまず国内で受け入れられない。

こんな国の中だけで通用するような、優等生的な人間を育てて 意味があるでしょうかね。

まずは親たちの考えが変わらないと、どうしようもない。ところがその親たちが子供のままだから困ったものです。親が試験の点数だけに一喜一憂しているようでは、子供は真の意味で知性のある人間には育ちません。大きな教育改革は必要でしょうね。もちろん橋下なんかのオバカタレントの思いつき改革なんて問題外です。

真に子供たちの伸びやかで健康的(うーん、ちょっと抽象的な表現はご容赦)な知力を伸ばす環境が必要だと思います。

東大合格へのプログラム なんて子供にとっては最悪ですよ。

TPP を子供にどう説明するか

TPP(Trans-Pacific Partnership、またはTrans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement)

日本語では
環太平洋戦略的経済連携協定」
と呼ばれています。
覚えにくい名称です。自分は覚えようとも思わないので、いきなりWikipedia で検索してしまいました。

さて、今このTPPがメディアで大きく取り上げられています。
大方は、「TPP参加は必要」との方向へ流れています。

理由は単純なんです。
「アメリカが求めているから仕方ない」

ーーーこれは沖縄米軍基地の 普天間への移設 に対して、官僚はもとより政治家たち 、そしてメディアも同じスタンスをとっていることと同じです。

「日本は基本的にアメリカの植民地なんだから仕方ないんだよ」
と右翼が聞いたら激怒しそうな感覚を実は国民の多くが抱いています。

TPPもアジアの国々が主張していただけなら、日本政府は相手にしなかたったでしょう。
アメリカが参加してきたから、急遽検討しだしたというのが実態ではないでしょうか。

この問題、メディアの取り上げ方は極めて偏っています。

「日本にとって得なのか、損なのか」

という議論にほとんど集約されています。

得だったら参加、損だったらまだ議論を続けてアメリカの出方を伺おう

というのが議論の流れです。

いったいいつまではそんな議論ばかり続けてゆくつもりでしょうか。
(日本人に限りません。世界中の国が似たり寄ったりです。)

「我が国は一国だけではやっていけない」
という理屈をこねる人がいますが、今世界中を見渡して、「一国だけでやっていける国」なんてありません。
日本だけの問題ではないんです。

一国だけではやっていけないから、世界中協調し合ってやっていきましょう

というのが現代の世界政治の流れでしょう。
でもそれを一方的に破壊しようとしてきたのが

新自由主義 です。

これはアメリカとごく一部のその属国だけが得するように考えられたシステム。
ほとんど他国の犠牲の上に、アメリカ一国至上主義を 成り立たせようとするもの。

あなたは子供に

「日本は一国だけではやっていけない。だからTPPに参加して自由経済をもっと深化させる必要がある」

と言ったとします。
では他国の事情はどうでもいいのでしょうか?
日本が得すれば、その一方で損をする国があってもそれは関係ない。
ーーそう子供に説明しますか?

国内に限っても、得する人と損する人がでます。

「お前は得するように進路を考えろ。損する側には絶対なるな」

と教育しますか?

農業なんてやってはいけない と説明しますか?

TPPの議論で決定的に欠けているのが、文化としての国のあり方です。

農業は英語では
agriculture
これはカルチャー(文化)なのです。カルチャーとは「耕す」ことの意です。

この文化をどうするのかという議論が全くなされていませんね。
いや、あるにはあるのですが、メディアは意図的にその議論を隠しています。

まさにメディアはアメリカの番犬でしかないという証明です。

今議論されているのは極論すれば

「自分にとって得か損か。勝つか負けるか」

です。

私たち市民の側は、国家の無謀な企みに 「ノー!!」 を突きつけ、世界中の市民と共闘してこの悪しき「経済至上主義」を乗り越えてゆく必要があります。

私たちの古代からの 文化 を経済というものと天秤にかけて崩壊させてしまうことは絶対に避けなければなりません。

最後に

自分が得することだけ考えて、他人を踏み台にすることを悪としない教育は、子供を確実に いじめっこ にしてしまいますし、将来的にも良い仕事ができるようになるとはとても考えられません。

極端な言い方かもしれませんが、

「ビル・ゲイツにはなれても、スティーヴ・ジョブズにはなれません。」

スティーヴ・ジョブズ氏に学ぶことは多い

  • スティーヴ・ジョブズ

AppleコンピュータのCEOを最近退いたばかり。

そして昨日は iPhone 4s の発表があったばかり。

そのスティーヴが今日亡くなった。
とても残念です。

どこかの会社経営者が 亡くなっても、全く関心をもったことはないが、スティーヴの死には初めてショックを感じた。
早速、Appleに哀悼のメールを送りました。

Apple製品のiMacからそのメールは送られたのです。
私の目の前には24インチのiMacがあり、左側にはG4Macがあり、右側にはG5Macがあります。
私のパソコンは一番最初の 富士通マイクロ8 を除いてすべてMac(本当はApple II が欲しかったけどちょっと高くて断念した)。いやDELLも必要に迫られて買いましたが、今のMacならWindowsも走るので、DELLはオークションに出品しているところ。
でも買い手が全然つかない。購入価格の3分の1にしても新品同様のものが売れません。
DELLはスティーブの言っていたように、まったく魅力のないマシーンです。単なる安売り商品。DELLを使ってみて、やはりMacでなければ我慢できないようになりました。

そんなMacを次々出していったApple。それを率いたスティーヴ。

世界は真の開拓者を失いました。
単に金儲けに走ったビル・ゲイツと比べ(言い過ぎか?)、真に自分は世界を変えられると信じ やりたいことのために命をかけたスティーヴの言動には多くの学ぶべきものがあります。

もしあなたが起業しようとしているなら、もしあなたが子供に起業家としての成功を望むなら、次の抜粋文章をお読みください。

「スティーブ・ジョブズ 名語録 (人生に革命を起こす96の言葉)」桑原晃弥 PHP文庫
からの引用です。

『アップルで初代マッキントッシュの開発を担当したアンディ・ハーツフェルドが、ジョブズとビル・ゲイツの仕事観の違いを比較してこう言ったことがある。
「市場の革新という点ではスティーブのほうがビルより上だ。スティーブはつねに最前線で働くが、ビルは基本的に追従者。スティーブにとって大事なのは非常識なほどすばらしい何かをやり遂げることだが、ビルにとって大事なのは金を稼ぐことなんだ」 
 確かにジョブズにとって、最重要なのは金や名誉ではない。才能ある人を集めて組織し、時にはあざとく飴とムチを使い分けて目標に駆り立て、革新的な成功を導き出していくことが重要だ。儲けた金は夢実現の手段になるのにすぎない。夢を追うことに貪欲ではあるが、金に対しては強欲ではない。こう言っている。
「時々、会社を起こしたいという人が相談にくる。理由を尋ねると、『金儲けをしたい』と答える。こういう人にはやめたほうがいいとアドバイスする。お金が目当てで会社を始めて、成功させた人は見たことがない。まず必要なのは、世界に自分のアイデアを広めたいという思いなのだ。それを実現するために会社を立ち上げるのだ」』 

ひとつ私から付け加えておきます。

夢をもって起業しても、その夢を理解し協力してくれる仲間がいなければ絶対にうまくいかないということ。
自分はカリスマだと思い込み、社員の理解も同意も得られないまま独走して成功した人がいないことも覚えておいてもらいたいと思います。